トビリシ Tbilisi თბილისი
トビリシについて
トビリシはジョージアの首都。シルクロードの町としてムトゥクヴァリ川Mtkwari(英語ではクラ川Kura)沿いに栄えた。東西南北から様々な民族が行き交いし、数々の他民族による侵略もあったため、現在も多文化を感じる街並みをもっている。トビリシにはグルジア正教の教会、アルメニア正教の教会、ユダヤ教のシナゴーグ、イスラム教寺院、カトリックの教会などがあり、トビリシの町の大きさでこれほど様々な民族が居住している町は世界でも少なく,他では味わえない雰囲気を楽しめるだろう。
面積 |
726 km² |
人口 |
1,480,000(2006) |
市長 |
ギオルギ ウグラヴァGiorgi (Gigi) Ugulava |
市外局番 |
32 |
オフィシャルサイト |
トビリシの伝説・名前の由来
ある日、イベリア王ヴァフタング・ゴルガサリは、鷹と一緒に狩りに出かけた。その鷹が獲物のキジを捕まえようとした時、二羽とも近くの泉に落ちてしまう。王が二羽を探しに泉の近くへ行くと、その泉の水は温かく、温泉が発見された。王は泉や周りの景色がとても気に入り、そこに新しい町を作ることにした。その泉の暖かい水に因んで、新しい町を「トビリシ(ジョージア語でトビリTbilは暖かいという意味)」と名づけた。その後、王ヴァフタングの遺言により、ジョージアの首都はムツヘタからトビリシに移された。
* トビリシにまつわる伝説はいくつかあり、狩で傷ついた鹿(または鷹)が温泉につかると傷が癒えたという話などもある。
トビリシの歴史
紀元前4000年紀頃の住居跡が見つかっており、この頃にはトビリシで人々が生活していたと思われる。
ca 452 |
イベリア王ゴルガサリがトビリシに町を築く。ヴァフタングの息子であり後継者であるダチがイベリアの首都をムツヘタからトビリシへ遷都。 |
570-580 |
ペルシアの支配下に。 |
627 |
ビザンティン軍とハザール軍によってトビリシ没落。 |
736-738 |
マルワーン二世(Marwan
II ibn Muhammad)率いるアラブ軍によって侵略。アラブの管轄区域になったことにより、司法制度が導入される。 |
764 |
アラブ支配下でハザール人により侵略される。 |
853-1050 |
再びアラブ支配下に。 |
1068 |
セルジューク朝により侵略される。 |
1122 |
ダヴィト4世(ダヴィト建設王)がアラブ人の支配からトビリシを解放。 |
12-13世紀 |
シルクロードの町として栄える。 |
1236 |
モンゴル軍による侵略、モンゴルの属国となる。 |
1320年代 |
モンゴル軍が撤退し、グルジアの首都に。 |
1386 |
ティムールにより侵略される。 |
1444 |
ペルシア軍により侵略される。 |
1524 |
ダヴィト5世によって解放される。 |
17-18世紀 |
オスマン帝国とペルシア軍によるたびたびの侵略を受ける。 |
1795 |
ペルシアによって町が焼かれる。 |
1801 |
帝政ロシアに編入され、トビリシにカフカスの総督府が置かれる。ロシア帝国に併合された1801年から1936年までロシア風にティフリス(Tiflis)と改称。 |
1918-1921 |
グルジア民主主義共和国の首都に。 |
1998 |
ソヴィエトより独立後、グルジア(ジョージア)の首都となる。 |