ヴァルジアの洞窟都市
ヴァルジアの洞穴遺跡

サムツへ・ジャヴァへティ地方 სამცხე-ჯავახეთი


かつてはメスへティ・ジャヴァへティ(Meskheti-Javakheti)と呼ばれていたグルジア南部にある地方。グルジアの経済を豊かにしているBTCパイプラインと南コーカサス・ガスパイプラインはこのエリアを通っている。また、歴史的に国境線が度々移動しているためジャワヘティエリアにはグルジア国籍のアルメニア人が多く住んでおり、アハルツィヘの町にはユダヤ人も居住している。

サムツへ・ジャヴァへティ地方(Samtskhe-Javakheti)の主な町はボルジョミ、バクリアニ、アハルカラキ、アハルツィへ、ヴァルジア。


 


ボルジョミ Borjomi ბორჯომი

ボルジョミ

トビリシから約160キロ、車で約4時間。トビリシ-ボルジョミは電車でも可。

19世紀初頭、ロシア帝国に占領されると、ロシアの貴族や将校たちがその気候、自然の豊かさ、そして水のおいしさに魅了され保養地として栄えた。ロシア人たちはこの地域をコーカサスの真珠「the pearl of Caucasus」と呼んだ。20世紀初頭にはグルジア人よりもロシア人の住民の数の方が多くなっていた。

現在もボルジョミの鉱泉から湧出する「ボルジョミ」という名のミネラルウォーターは旧ソヴィエト圏で高い知名度がある。日本でも購入可能。

ボルジョミハラガウリ国立公園 Borjomi-Kharagauli National Park ბორჯომ-ხარაგაულის ეროვნული პარკი
ヨーロッパ内で最も大きい国立公園で、9つの登山コースがある。公園内には美しい山、川、滝があり、ピクニックやキャンプが楽しめる施設もある。

リカニの城

リカニの城(ロマノフの城)Likani Palace(Romanov Palace) ლიკანი
ボルジョミの西部にある1892-1895年建築のムーア式宮殿。コーカサスの総監だったロシア人ミハイル ニコラエヴィチ大公の息子ニコライによって建てられた。1921年のソヴィエト赤軍の侵略により、館は押収され、共産党員たちのためのサナトリアとして使用された。スターリンのお気に入りの館としても知られ、館でのスターリンの写真も残っている。現在はグルジア大統領の夏の家として使用されている。

ティモテスバニ聖堂

ティモテスバニ聖堂内部
ティモテスバニ聖堂ドームのフレスコ画

ティモテスバニ聖堂 Timotesubani monastery ტიმოთესუბანი
教会は11~18世紀にかけて建造された。敷地内の一番大きな教会である聖母の教会(Church of the Dormition)はグルジアが最も繁栄していたタマル王時代のものになる。内部には1220年代のフレスコ画が残っている。



ホテル

Hotel Borjomis Kheoba
Rustaveli str. 107a
Tel 8 267 2 3072
39ユーロ~
レストラン、フィットネス、インターネットあり。

ボルジョミホテル Borjomi Hotel
Nino Tsminda St. 3
Tel 8267-22212
44ユーロ~
全部で11室。朝食あり。

 

バクリアニ Bakuriani ბაკურიანი


トビリシから約190キロ、車で3時間半。ボルジョミからは約30キロ。スキーのリゾート地として有名。夏にはハイキングや乗馬を楽しむことができる。

バクリアニスキーリゾート Bakuriani Ski Resort
グダウリと同様、ヨーロッパからの観光客も多い。

タバツクリ湖 Tabatskuri alpine lake
この湖は海抜1989mの高所に位置し、冬は凍結し、美しい姿をみせる。



ホテル

ホテルアポロン Hotel Apollon
121, Davut Agmashenebeli Street
Tel 8 99 57 11 08, 8 77 73 07 72
USD77~
全部で17室。町の中心にあり、初心者用のスキーコースに近い。サウナ、レンタルスキーあり。

ニューハウスバクリアニ New House Bakuriani
21, Tavisupleba str., Bakuriani, Georgia
Tel + 995 91 62 26 41

Hotel Tskhratskharo
St. Borjomi 5 Settlement Bakuriani
Tel +(995 93) 33 04 51
インターネット、サウナ、バーあり。ツアーの手配もしてくれる。


アハルカラキ Akhalkalaki ახალქალაქი


アハルカラキからトルコとの国境へは約30キロほど。この地域にはメスフ人が多く住んでいたが、1944年のスターリンの強制移動により中央アジアに移住させらた。そのため、現在このエリアに住む90%がアルメニア民族となっている。1990年代にグルジアは強制移動させられたメスフ人の帰還を許可したが、アルメニア民族との緊張を高める結果に終わっている。

在グルジアロシア軍第62軍事基地 Base of the Russian Army's 62nd Division
グルジアにあったロシア軍基地。2007年にロシア軍は撤退した。



アハルツィへ Akhaltsikhe ახალციხე


サムツへ・ジャヴァへティの地方庁。アルメニア人が多く住んでいる地域。

サムツへジャヴァへティ博物館

昔モスクだったサムツへジャヴァへティ博物館

イスラム教徒の生活の場所だった寮
サムツへジャヴァへティ博物館

モスクの内部

コーカサス絨毯

サムツへジャヴァへティ博物館 Ivane Javakhishvili Samtskhe-Javakheti History Museum
1, Kharischirashvili str. 0800 Akhaltsikhe, Georgia
Tel (+995 265) 2 16 22, (+995 265) 2 01 38
10.00-16.00 月曜休館
入場料 大人1.50ラリ、子供・学生1ラリ、特別展示3ラリ、ガイド料10ラリ
城壁跡にあるサムツへ・ジャヴァへティ地方の歴史博物館。オスマン帝国の支配下にあったため、イスラムの影響を受けている物やコーカサス絨毯などが展示されている。美術館の建物の一つはモスクを改装したものになる。

サパラ修道院

サパラ修道院内部

サパラ修道院内部
サパラ修道院

サパラ修道院ドームのフレスコ画

サパラ修道院の外壁

サパラ修道院 Sapara monastery საფარის მონასტერი
アハルツィヘから約30キロ。9世紀から13世紀初めにかけて建てられた教会。このサパラを守っていたジャケリ家(Jakeli family)の長であるサルギス(Sargis)はモンゴルと良好な関係を持つことに成功し、この地をモンゴルの侵略から守った。サルギスの息子ベカ(Beka)は施設内に最も大きな教会St Saba's Churchを建てた。サバ(Saba)とはサルギスが死後、列聖し得た名前。教会内部には祭壇の前にはイコノスタシスがあり、壁には14世紀のフレスコ画が残っている。

ザルズマ修道院

ザルズマ修道院 Zarzma monastery ზარზმის მონასტერი
アハルツィへから西へ約30キロ。10~14世紀初頭建立の教会。素晴らしい装飾が入口や窓にある。内部にもフレスコ画があったが、16世紀のオスマン帝国の侵略により教会はかなりの損傷を受けた。現在は修復されている。

ヘルトヴィシの要塞

ヘルトヴィシの要塞
ヘルトヴィシの要塞

ヘルトヴィシの要塞からの眺め

ヘルトヴィシの要塞 Forgress of Khertvisi
アハルツィへから約46キロ。ジャヴァへタムトクヴァリ川(Javakheta Mtkvari)とアルタアニムトクヴァリ(Artaani Mtkvari)川が合流する丘の上に建つ10世紀の要塞。



ホテル

ホテルメスへティ Hotel Meskheti
Kostava Str 8
Tel. 8265-20420
ゲストハウス。ホームスティタイプ。

Hotel Potskhovi
Abastumani Road
Tel 899 574099

Hotel Prestige
76 Rustaveli str. 76
Tel 899 574069, 899 473574

ホテルホワイトハウス Hotel White House
Aspindza St. 28
Tel 8265-20410
全部で20室。レストラン、インターネットあり。


ヴァルジア Vardzia ვარძია


ボルジョミから約70キロ。アハルカラキから車でヴァルジアまで約1時間、アハルツィヘからは車で約1時間半。アハルツィへからはヴァルジア行きのマルシュルートカが毎日出ている。

ヴァルジア洞窟都市

ヴァルジア洞窟都市の教会

ヴァルジア洞窟都市の教会壁画

ヴァルジア洞窟都市にある井戸「神聖なる水」


ヴァルジア洞窟都市

ヴァルジア洞窟都市の教会のフレスコ画 タマル王(左)とギオルギ3世(右)

ヴァルジア洞窟都市

ヴァルジア洞窟都市からの眺め

ヴァルジア洞窟都市 Cave City of Vardzia(Vanis Kvabebi)
当初はギオルギ3世がペルシャの侵略に抵抗するため要塞として創建。12世紀後半にはギオルギ3世の娘タマル王によって修道院と洞窟都市としての役割も果たすようになった。タマル王はここに数年住んでいたとされ、一時は3000の洞窟に5万人の人々が居住していたと言われている。

山の中に彫られた洞窟都市はムツクヴァリ川近くにある隠れたトンネルからしか出入りができなかった。そのため、モンゴルの侵略から多くの貴重なイコンなどを守ることできた。

しかし、1283年の地震で洞窟の3分の2が崩れ、山の中に隠れていた洞窟が表に現れることになった。13世紀にはサムツへの大公ベカによって鐘楼が加えられた。しかし、1551年のペルシャの侵略により修道院は占領され、多くの文化的財産が没収された。

洞窟都市は教会、王室、台所、トイレ、ワインの構造室などの数百~数千以上の部屋がある。水が引いてある井戸があり、現在でも飲むことが可能。「神聖なる水」として体に良い水と言われ、ペットボトルに入れて持ち帰る人も多い。

洞窟都市の教会Church of Assumption of the Virginのフレスコ画に、この町を作ったギオルギ3世とタマル王が描かれており見ごたえがある。