ピロスマニの『脱穀場(Threshing Floor)
ピロスマニの『脱穀場(Threshing Floor)』

美術・絵画


グルジアで教会を訪れるとイコンや教会壁画など、グルジアの歴史ある美術品に出会うことができる。また、美術館では『百万本のバラ』の歌の主人公である画家ピロスマニの絵を見ることもできる。


イコン


蜜蝋イコン「ツィルカニの聖母」

蜜蝋イコン「ツィルカニの聖母」
(グルジア国立美術館蔵)
9世紀。現存最古のイコン。グルジアで最も有名なイコン。


モザイクイコン「聖ゲオルギオス」

モザイクイコン「聖ゲオルギオス」
(グルジア国立博物館蔵)
11-12世紀。スワネティ地方マツフヴァリシ村にあったもの。


教会壁画


グルジア壁画の最盛期は10世紀末~13世紀と言われているが、5-6世紀の壁画も残っている。

ジュヴァリ修道院のアプシスの壁画

ジュヴァリ修道院のアプシスの壁画
6世紀半ば。ムツヘタ。

アテニシオニ教会の壁画

アテニシオニ教会の壁画
11世紀初頭の壁画。ゴリ郊外。

ゲラティ修道院の壁画

ゲラティ修道院の壁画
クタイシ郊外。




グルジア人画家



ディビッド カカバゼ
David Kakabadze დავით კაკაბაძე(1889-1952)
貧しい農家の家庭に生まれる。サンクトペテルブルグでグルジア美術について研究し、1919から10年間パリで過ごし、他のグルジア人画家たちと一緒に展示会を開くなどの活動をした。グルジアに帰国後は劇場のセットのデザインや映画を製作。1928年にはトビリシ芸術院の教授を務めた。アヴァンギャルドの画家。


ニノ カルミゼ Nino Karumidze
ヴィオラ奏者のザザ・ゴグアさんと夫婦。日本でも個展を開いている。


ラド グディアシヴィリ Lado Gudiashvili ლადო გუდიაშვილი (1896-1980)
トビリシ生まれ。トビリシのTiflis school of sculpture and fine artで学び、その後パリでも芸術学校に通う。また、グルジア象徴主義の詩人グループ「The Blue Horns」に所属していた。グルジアの有名画家ピロスマニの影響を強く受けている。


ニコ ピロスマナシヴィリ Niko Pirosmanashvili (1862-1918)
ピロスマニPirosmaniの名で知られているグルジアを代表する画家。カへティ地方のミルザアニ村の貧しい農家に生まれる。彼が8歳のときに父親は病死、その後孤児としてトビリシで生活する。いくつかの職に就くが続かず、放浪しながら居酒屋の看板などを描くその日暮らしの生活を送るようになる。生涯貧乏で一人で過ごし、どこに埋葬されたかも不明。ピロスマニの絵は彼の死後評価されるようになった。ピロスマニの生涯を描いた映画「ピロスマニ」や「ピロスマニ」という名のワインがあり、グルジア国民に愛されている画家である。
ピロスマニはプリミティヴィズム(原始主義)の画家に分類されており、人間・自然をそのままの状態で表現し、しっかりした輪郭で絵を強調しているのが特徴。

=代表作=
女優マルガリータ Actress Margarita
グルジアを訪れたフランス人女優マルガリータの絵。ピロスマニが恋をした女性(*1)として知られている。ピロスマニの恋物語は日本では加藤登紀子の「「百万本のバラ」として知られているが、彼の恋物語を最初に語ったのはグルジア人作家シャルヴァ ダディアニといわれている。その後、ロシア詩人アンドレイ・ヴォズネセンスキーによって有名になり、ロシア語から日本へ伝わった。
(ロシアでは人気歌手アーラ プガチョワが「百万本のバラ」(1982)を歌っている。)

*1フランス女優に恋した貧乏画家ピロスマニは、全財産をはたいて購入したバラで、彼女の泊まるホテル前の広場を花びらで埋め尽くした。二人は一度両想いになったと言われているが、マルガリータがピロスマニの将来性に不安を感じ、ピロスマニの恋が終わったとされる。